どこまでも、どこどこまでも、果ての果てまで、断固として、徹頭徹尾、徹底的に便所の落書きですよ。なんだか全体的に右に曲がっているように見えますけど、気にしないでくださいね。ただの癖ですから。

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日米修好通商条約無効論

外国人の外国人による外国人のための政党の
代表戦なんて本当はどーでもいいんですが
政界再編にもからんでくるのでウォッチせざるを得ません。

ベストシナリオは小沢が負けて党を割るという状況です。
そのうちに菅直人の不信任案成立と。

ワーストシナリオは小沢が勝って、立ち上がれやみん党と
連立を組むと見せかけておいて、最終的に公明と連立で
ミンスの安定多数確保となることでしょうか。

どういうシナリオになるにせよ、菅が自らの解散権封印を
宣言しちゃったのは失敗ですね。

まあ小沢が勝っても世論は許しませんから
バッシングの嵐です。

小沢は小沢で、検審会さえやり過ごしたら、
ほどなく傀儡にバトンタッチするつもりなんでしょう。

反ミンスの立場としては
代表選後の国会で徹底的に追い詰めないといけません。

いいタイミングで原口やらヌカドコに、
あるいはヨシミとかハゲゾエにバトンタッチされたら
世論はそれを支持をする可能性があります。



【40×40】潮匡人 韓国併合条約が偽りで無効なら…
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/
100826/stt1008260809008-n1.htm
明治43年8月29日「韓国併合ニ関スル条約」が公布された。100年後の今月10日、菅直人首相は「政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました」との談話を公表した。首相に談話を求めた知識人らは「日本は軍隊、憲兵、警察の力で弾圧し、1910年の韓国併合に進んだ」「激しい抗議を軍隊の力で押しつぶして、実現された」と論じ、条約は「前文も偽りであり、条約本文も偽りである。条約締結の手続き、形式にも重大な欠点と欠陥が見いだされる」「当初よりnull and void」、つまりもともと法的に無効と訴えた(「韓国併合」100年 日韓知識人共同声明)。その上で「朝鮮民主主義人民共和国と日本との国交正常化も、この併合100年という年に進められなければならない」とも主張した。署名者は、大江健三郎(作家)、小田川興(元朝日新聞編集委員)、姜尚中(東大教授)、小森陽一(東大教授)、坂本義和(東大名誉教授)、佐高信(「週刊金曜日」発行人)、沢地久枝(ノンフィクション作家)、高橋哲哉(東大教授)、三谷太一郎(東大名誉教授・日韓歴史共同研究委員会日本側座長)、山室英男(元NHK解説委員長)、和田春樹(東大名誉教授)ら。ならば、黒船による文字通りの砲艦外交で結ばれた日米和親条約も、不平等な日米修好通商条約も、当初より無効であろう。きっと、ポツダム宣言の受諾も無効となろう。激しい抵抗を軍隊の力で押しつぶして、実現された結果なのだ。当然、日本国憲法も当初より無効である。占領下の改憲はハーグ条約違反であり、制定手続き、形式にも重大な欠陥がある。前文も9条も偽りである。軍事的背景の下、意に反して行われた占領支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられた。首相や知識人らは、そう私たちに気付かせたかったのだ。たぶん…。(国家基本問題研究所評議員)




日韓併合が無効ならば
ポツダム宣言と日本国憲法まで無効ですよと。

それにしても日韓歴史共同研究委員会日本側座長
ってのが名を連ねてるんですから。

何のための歴史共同研究だったのかと。




【コラム】変化の風を見た
http://japanese.joins.com/article/article.
php?aid=132436&servcode=100§code=140
日本列島の南側の鹿児島県。 明治維新を率いた西郷隆盛(1827-1877)が生まれ、成長し、死亡したところだ。 私たちには1873年の征韓論の首唱者として記憶されている。 韓国侵略の基礎を築いた元凶の一人に挙げられるが、日本での評価は全く違う。 まさに英雄だ。 鹿児島市内の中央路の銅像をはじめ、出生地・墓地・神社など遺跡があちこちに保存されている。 西郷が生まれた場所にはこう書かれている。 「大きな目で変化の風を見た」。 風は西洋から吹いてきた。 西欧式近代化が変化の実体だった。 西郷の肖像画(西郷の写真は伝えられていない)を見ると、豪放な印象を与える顔に大きな目が印象的だ。 その大きな目で激しく押し寄せてくる西洋文明の力を見て、その力がもたらす変化を感じたということだ。 19世紀半ば、変化の風を感じたのは西郷だけではなかったはずだ。 にもかかわらず西郷の人気は特別だ。 最近もそうだ。 歴史人物の人気度で坂本龍馬(1835-1867)と1、2位を争う。 人気のある人物は総じて明治維新初期にドラマのような人生を送った人たちだ。 人気の秘訣はなにか。 「無私無欲で、勇敢で、豪放だったと考えられる」。鹿児島で会った黒瀬郁二教授(鹿児島国際大学・経済史)の言葉だ。 ‘最後の侍’の姿を西郷と重ね合わせるケースが多いという。 福岡で会った金鳳珍(キム・ボンジン)教授(北九州大学・国際関係学)はやや違う考えだ。 「改革を主張しながら、比較的早く死亡したため」と語った。 明治維新が侵略主義戦争につながる時まで生きていれば評価を違ったり、いっそのこと注目されなかったかもしれない、ということだ。 例えば伊藤博文(1841-1909)のように評価材料が増えれば、評価を避けたり人気が落ちたりするということだ。 当時、朝鮮でも変化の風を感じた人が少なくなかった。 開化派の朴珪寿(パク・ギュス、1807-1876)をはじめ、金允植(キム・ユンシク)、魚允中(オ・ユンジュン)に続き、甲申政変を起こした金玉均(キム・オッキュン)、洪英植(ホン・ヨンシク)、徐載弼(ソ・ジェピル)らだ。 改革の方向は正しかった。 生煮えの変革が問題だった1884年の甲申政変失敗後、改革の動力をほとんど喪失した。 『西遊見聞』を書いた兪吉濬(ユ・ギルジュン)のように日本や西欧に留学した人材が正しく使われなかった。 西洋に留学した日本の開化派が近代的制度改革に続々と投入されたのとは対照的だ。 こうした日本を私たちは憎悪しながら羨望した。 私たちの目は複合的だった。 侵略には抵抗したが、それを可能にした近代化の力は羨んだのだ抵抗と羨望の二重奏、その下には亡国の恨が流れる。 庚戌国辱100年を迎える時点で、これ以上の亡国の恨をかみ締める必要はなさそうだ。 他国を侵略する帝国主義を経ずに私たちは近代化を成し遂げた。 日本が通っていない道だ。 過去60余年間の私たちの成就は韓国発の新しい風を起こせるはずだ。 侵略と戦争ではなく、共存と協力を基盤とした近代化の新しい風を。 (鹿児島で)泳大(ぺ・ヨンデ)文化スポーツ部門次長




これからは西郷をターゲットに蔑むという予告でしょうか。

「改革を主張しながら、比較的早く死亡したため」
これはノムタンのことぢゃないの?


日本は明治維新という革命を成功させたが
韓国はちょっとした手続きの違いで失敗しただけなんだと
言いわけめいて聞こえます。

日本を憎悪しながら羨望したというのが本当のところでしょうね。
それが100年もつんですから大したもんです。

この記者の言う通り、韓国は日本が通っていない道を通ってます。
同じ民族同士で血で血を争う戦争し分断するという道を。





【韓国から見た日本】日韓併合100年(3)386世代
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/100826/
kor1008260802000-n1.htm
「民主化運動で忙しく、日本について考える暇も関心もなかった。海外旅行を自由にできなかったわれわれの世代にとって、日本は遠い存在で実感もなかった」軍出身の全斗煥氏が大統領に就任して間もない1981年に大学に入学したという金鍾杰(ジョンゴル)・漢陽大大学院教授(48)は、学生時代の対日観をこう振り返った。知日家の家庭で育ち、父親からは「日本人は親切できれい好き。約束を必ず守り、謙虚さを重んじる人たちだ」と聞かされて育った。それでも「われわれは当時、いかに韓国が素晴らしい国か、誇り高い民族であるかを学んだ。だから学校では、日本を悪者にして喜ぶという集団意識があった」と振り返る。ソウル大生だったころ、学生デモに参加したという公務員の朴秀哲さん(47)。子供のころは、母方の祖母から統治時代の話をよく聞かされた。「日本は韓国固有の伝統と文化の多くを抹殺した。なぜ、わが民族が違う民族から支配を受け、抑圧され、自分たちの歴史までも歪曲(わいきょく)されなければならないのか。子供のときは日本が憎かった」と語る。父方の祖父が満州で独立運動をしていたというIT企業社長、申光浩さん(47)の対日観はこうだ。「率直に言うと日本には良いイメージはない。われわれ『386(サムパルユク)世代』は基本的に日本は好きでない。幼いときは、今度は韓国が侵略して、日本を植民地にすればいいのにとさえ思っていた」1990年代に年齢が30代(3)で、80年代(8)に大学へ入り学生運動に参加し、60年代(6)に生まれた世代を、韓国では「386世代」と呼ぶ。現在40代の世代だ。民主化を求めて起きた光州事件(80年)をきっかけに、軍事政権打倒を目指し反政府運動が盛んだった時期に学生だった。この世代のほとんどが学生運動参加の経験があるという。386世代が少年期を過ごした60、70年代当時は、韓国では海外旅行が許されておらず、事実上“鎖国状態”だった。経済が急速に発展したことを背景に、海外旅行が完全に自由化されたのは、ソウル五輪開催翌年の1989年以降だ。この世代が脚光を浴びるようになったのは、2000年の総選挙のときだ。韓国政界の新勢力として386世代が何人も立候補し、金権政治家らをターゲットにした「落選運動」を繰り広げ注目された。今や政界や学界、言論界などを主導する存在になり、世論をリードする。選挙などでは、キャスチングボートを握っているとも言われ、この世代の投票行動が選挙結果を大きく左右する。386世代の対日観を、他の世代はどう見ているのだろうか。「日本に対して韓国だって負けてはいない。対等だという意識が強い。でも日本を知るにつれ、やはり先進国だという認識を持つようになり、ならば良い点は日本から学び、日本に勝とうという対抗心が強い世代だ」(53歳、雑誌社社長)「日本は大したことがない国ぐらいに思っている。でも日本のほうが韓国よりも上にいることも認めていて、日本の良い面は習おうという気持ちが強い」(39歳、公務員)「自分たちの力で社会を変えた」という自負が強い世代だけに、日本への対抗心も強い。ただビジネスライクに良い面は認める。反日感情が強い申さんも「大人になってからは、日本に学ぶ点も多いと思うようになった」と言う。一度も訪日したことがない朴さんは日本への特別な思い入れがない分、対等な日韓関係を訴える。「日本が持っている長所を、必要ならば私たちは学ばなければならない。日本も韓国の長所は学ぶ。こういう関係になれば、互いに良いのではないか」(ソウル 水沼啓子)




386世代≒全共闘世代かと。




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[ 2010/08/26 21:56 ] 韓国 | TB(0) | CM(0)
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